お蕎麦を食べていたときのこと。 母が「細く長く生きられるようにお蕎麦を食べるんだよ」と言いました。
すると、父がこう言ったのです。
「俺は太く長く生きるんだ!」

蕎麦をずずずとすすりながら、誰とも目を合わせずに言っていた姿。子ども心にとても印象的でした。
ふーーーーん。
細くて長い蕎麦の形から「細く長く生きられますように」と願ったり、家族の縁が長く続きますようにという意味が込められていると知った私にとって、そんな宣言をする父はただただ不思議な存在でした。
父は、とにかく多くを喋らない男でした。タバコももくもく吸うし 小さい頃の私は、父が嫌で嫌で息が詰まりそうだったのを覚えています。
「なぜこんなに喋らないんだろう?」
「一体何を考えているんだろう?」
同じ車に乗っていても、父も兄も一言も喋らず、何時間でも平気で過ごしている。 私にとってその空間は、苦痛でしかありませんでした。

あーーーー喋りたい! そう思って話しかけても、返事はない。 私の言葉はただ宙を舞い、あとに残るのは気まずさだけ。そんな子供時代。
そんな父でしたが、まだまだ若いのにと言われる年で病に倒れてしまいました。
いま、母に老々介護されながらも、図太く、そして逞しく生きている父の姿があります。
その姿を見ていると、ふと思うのです。 あの日、お蕎麦を食べながら言っていたあの言葉。
あれは、父の伏線回収だったのかもしれない、と。
「太く長く生きる」
それは、ただの天の邪鬼な一言ではなかった。
もっと図太く、逞しく。 ちょっとやそっとの困難にはへこたれず、何度でも立ち向かおうとする強さ。
口数は少なくても、父は自分の人生をそうやって生き抜く覚悟を、あのとき一言に込めていたのかもしれません。
言葉数は少なくても、不器用でも。 何度も立ち上がる父の背中は、いまの私に「どんな困難も越えていける」という応援をしてくれているようです。
































