手放すことで生まれる余白―満月ヨガとワサビ事件

気分はもう秋ですが、8月もあと3日で終わります。

今日、満月の日にヨガをしてきました。

通い始めて、もう丸4年か5年。

今日も、いつもより深くポーズに入れたような感覚がありました。それでも私は、4年か5年ずっとビギナーコースにいます。

Woman practicing a wide-legged yoga pose on a purple mat
AIです

「まだまだ、ひよっこだなぁ🐣」

そう思いながらも、何かを極めるには、やはり「継続は力なり」なのだと思います。

ゆっくりでも続けていれば、目には見えないところで少しずつ変化しているのかもしれません。

さて長く生きていると、いろいろなものが増えていきます。

物も、仕事も、人とのご縁も、そして心の中に積み重なった感情も。

「ご縁は大切に」と聞きます。

もちろん、ご縁は大切です。

けれど、人生の時間には限りがあり、出会ったすべての人とお付き合いを続けていくことはできません。

だから、ときには何かを手放すことも、自分に許してあげてよいのだそうです。

それは、人付き合いだけではありません。

家にある本も、そのひとつです。

自分を適切な方向へ導いてくれた本を手放すのは、なかなか勇気がいります。

「あのとき、この本に助けてもらった」

そう思うと今はもう読んでいなくても、簡単には捨てられません。

取っておくのか、手放すのか。

その取捨選択は思った以上に難しい。

そんなとき、こんまりさんの「ときめくか、ときめかないか」というシンプルな方法は、とてもリズミカルに掃除が捗ります。

手に取って、ときめかなければ手放す。

迷い始めたら作業がなかなかすすまない私には、なかなか頼もしい方法です。

しかし先日、冷蔵庫を整理していたときのこと。

主人が大切に取っておいた、小さなワサビがいくつも出てきました。

私は前々から、冷蔵庫を開けるたびにポタポタと落ちてくる小さなワサビに、苛立ちを感じていました。

そこで「ときめかない方式」を採用し、ゴミ袋へじゃんじゃか投入。

すると主人が、ものすごく悲痛な面持ちで叫びました。

「ちょとまってよぉぉぉーーーーー」

私にとっては、冷蔵庫から落ちてくる邪魔なもの。

けれど主人にとっては、大切に取っておきたいワサビ。

私は思わず「これはゴミです!」

と、自分の正論を突きつけてしまいました。

私にはゴミに見えるものでも、それを心から大切にしている人がいる。

そんな当たり前のことに思いを馳せる余裕がないくらい、私は疲れていたようです。

この「ワサビ事件」は、今年いちばん涙の出る思い出として、きっと長く記憶に残るでしょう。

まさに、ワサビのようにツーンと涙の出るような一日でした。

誰かと暮らすって、大変だなぁと思います。

家族であっても価値観は違い、性格も違います。

自分にとって必要のないものが、相手にとっては大切なこともある。

みんな、そんな違いを少しずつすり合わせながら、一緒に生きているのかもしれません。

相手の大切なものは、勝手に手放さない。

けれど、自分自身の軸まで手放してしまわない。

その両方を大切にできたらと思います。

今夜は、私が本当に手放したいものは何なのか、もう一度ノートに書き記してから眠りにつくことにします。

いらない感情。

いらない仕事。

いらない衝突。

いらない記憶。

そして、いらない不安。

すべてを無理に捨てなくてもいいのかもしれません。

ただ、「もう持っていなくても大丈夫かもしれない」と思えたものから、さらさらと手放していく。

手放した場所には、きっと新しい余白が生まれます。

みなさんも、少しだけ心と暮らしを軽くして、秋を迎えてみませんか?

コメントを残す