北大路魯山人は(明治16年(1883年)から昭和34年(1959年))大芸術家です。若い人でも名前だけは知っているという人も多いのではないでしょうか。
世田谷美術館で北大路魯山人の器と出会うことが出来ました。器についてあまり知識はありませんが、私の視点から感じたことを書きたいと思います。
私も若かりし頃は陶芸教室に通ったことがあります。有名な先生に少しだけ教えていただき湯飲みを作ったことがあります。その程度ですが魯山人の器を見て思ったこと。それは実際触れてみたいなぁと素直に思いました。そして使ってみたいとも思いました。
作品はすべてケースに閉じ込められ観賞するしか出来ませんでしたが、自分がこの器を使ってお料理を戴いている想像をするのも楽しい時間でした。

北大路魯山人は『美味しんぼ』海原雄山のモデル
小学生の頃私の家には『美味しんぼ』がありました。この漫画は本当に勉強になります。アニメ化もされていましたのでとても馴染深いです。海原雄山を知っていると魯山人という人のイメージがしやすいかもしれません。
海原雄山は書道、絵画、文筆にも秀でた大芸術家というキャラクターです。そしてモデルとなった北大路魯山人は篆刻家(印象を作成する人)、画家、陶芸家、書道家、漆芸家、料理家、美術家であったとのことで非常に多才な大芸術家でした。
幼い頃は親の愛情に恵まれない環境で育ったようで転々とし大変だったようです。生涯6度の結婚は全て破綻され、とても気難しい方だったようです。お風呂あがりにキンキンの冷えたビールを出さないと叱り出すそうで、お手伝いさんがたくさん辞めていったというエピソードもあります。
大芸術家のお手伝いさんも大変気を遣うお仕事ですね。毒舌だったために敵や苦労も多かったようです。しかしその毒舌がゆえに気に入られたこともあったようです。
愛情に飢えていたのかホームドラマで肩を震わせ泣いちゃうこともあったそうです。幼少期に愛情を満足に得ることが出来なかった魯山人のせつないエピソードです。
北大路魯山人は3才で美とともに生きる決意をする
上賀茂神社の東側の山を散歩しているときに『真っ赤なつつじの咲き競う光景』を見て『美の究極』を感じ『自分は美とともに生きよう』と決心したといいます。『三つ子の魂百まで』と言いますが、3才で自然美を感じ取る感性に驚きです。

北大路魯山人は食客として食器と美食に対する見識を深める
『食客』とは君主が才能ある人を客と遇して養う風習
中国の戦国時代に広まった風習です。君主が才能のある人を客として養う代わりに主人を助けるという風習だそうです。時には命を差し出すこともあったそうです。
北大路魯山人は長浜、京都、金沢のお金持ちのお家を食客として転々とすることで食器と美食の見識を深めていったそうです。魯山人を育てたお金持ちの方たちもすごいと思いました。
北大路魯山人の会員制食堂『美食倶楽部』
こちらの食堂では自ら厨房に立ち、食堂で使う食器も創作していたとのことです。料理人でありながら食器も作るとはものすごいバイタリティーですね。どんなメニューが出されていたのでしょう。とても気になります。食べてみたいですね。
大正14年には永田町で会員制高級料亭『星岡茶寮』をプロデュースします。政財界でステータスのある料亭として大人気となります。現在はザ・キャピタルホテル東急に中国料理『星ヶ岡』として名前が残っています。

豪華な3,993円のランチセット。ぜひ一度で良いので魯山人を感じながら美味しい中華を戴いてみたいです。
中国料理 星ヶ岡/ザ・キャピトルホテル東急(永田町/中華料理) – ぐるなび (gnavi.co.jp)
北大路魯山人との出会いは『和食文化』について考える機会になりました
今回北大路魯山人の器に出会い、日本の四季の美しさ、和食文化について考える機会になりました。世田谷美術館から見える外の景色もとても美しくまた魯山人の器に会いに行きたいと思います。
自分の好みの器に自分のお料理をのせる楽しみは自宅でも出来ます。自分のお気に入りの一点ものの器を日常的に暮らしに取り入れて豊かに暮らしたいと思いました。
世田谷美術館からほど近い桜新町にきさらぎ亭という美味しい定食屋さんがあります。こちらはファンにとても愛されている美味しいお店ということです。現代の美食家たちもうなる美味しさです。
